■今回の裁判の意義■
「不合理に泣き寝入りしなかったこと」の一点に尽きる。
完全に相手側の落ち度であることが訴因ではあったものの、相手は誰でも名前を知っている、東証一部上場の大企業。一方、こちらは一般市民の一個人。請求額から手続が簡易な小額訴訟制度を利用、手続き上は通常訴訟移行はしたものの、実質的には小額訴訟の審理から和解に至った=小額訴訟の範疇で収まった、といえる内容であり、簡易に利用できる小額訴訟制度の意義は大きい、と実感できた、と言って差し支えない。
話の経緯で言えば、先のブログエントリーにある通り、先に和解を申し入れたのは原告側である(訴訟前)。
これに応じなかったにも関わらず、最終的には被告が和解を振ってきたわけだが、ぶっちゃけ、最初から和解で解決しようとするなら、通常訴訟移行は不要である。小額訴訟の枠内での和解を行えば良いからだ。
通常訴訟移行を請求したのは、あくまでも手続き上のことと被告は白を切るかもしれないが、「原告に対する被告の示威行動」という要素を確実に含んでいる。要は原告が通常訴訟にびびって裁判を取り下げる……ということを期待しての行為であった、ということだ。この点、ど素人なら取り下げ→泣き寝入り、という選択肢もあったのだろうが、こちらは「有識者」を抱えていたわけで……。最後まで怯まず対応したために、最終手段で被告の和解提示……となったものと推測している。
原告側からすると、通常訴訟移行で通常の民事訴訟のスキームに乗るリスクはもちろん想定していたが、訴因からするとその可能性はかなり低く見積もられること、裁判官が和解を提示する可能性が大いにあったこと、等を根拠にしたリスクマネジメントの結果、「怯まずに裁判をしよう」という結論に至っている。
■被告の行動の非合理性■
上記のように、持ち札を一枚ずつ切って行った結論が被告の和解提示、と考えるのが通常と思うが、今回に関していうと「被告のリスクマネジメントの甘さ・緩さ」が、被告自身の首を絞めた、という要素は否定できない。具体的に挙げると以下である。
◆原告の和解申し入れに根拠なく応じなかったこと。
◆通常訴訟移行を申請しつつ、和解を申し入れてきたこと。
◆安直に答弁書で一部否認・一部不知を行い、心証を落としたこと。
◆遠路はるばる6名もの大人数で「お金を掛けて」法廷に来ていること。
このうち4番目は和解内容にまで影響を与えかねない内容で、いち企業人たる当方から言っても「有り得ない」対応である。
また、訴訟外の話まで考えると、被告のコスト感覚は正直おかしい。
ぶっちゃけ、6名の往復交通費だけで和解金額を優に上回るからである。恐らく倍近い交通費が掛かっているはずだ。
さらに言えば、その6名が裁判での主張内容をどうするかを打ち合わせ、資料を作り……ということに、一体どれだけの工数=コストを掛けているのか、自分たちで自覚していないとしか考えられない。確かに部課長クラス=管理職ばかりだから、給料は完全固定である可能性が極めて高いが、だからといって何をしていてもよい、というわけではないはずだ。
被告として対応した2名はさておき、残り4名の振る舞いが正直見えなかった。同席だけに来た、というか……。本来の業務を止めてまで来る価値がある1時間半だったのだろうか?と考えると、やはり被告のコスト感覚は一般の民間企業のそれと比肩できるものではない、と判断せざるを得ない。
最後まで和解に応じない、ということが「企業のメンツ維持」だったのかもしれないが、通常訴訟移行で通常の民事訴訟になった場合、傍聴は可能だし判決になれば裁判例集へ掲載される可能性だって出てくる(まぁ小粒な話すぎるので実際は載らないだろうが……)。このあたりのリスクマネジメントも甘く、緩いとしか思えない。
ちなみに本件、当方が被告側なら、こう対応する。
1.関係者にヒアリングし、事案の全体像を把握する
2.責任の所在を明確にする
3.原告側に報告・謝罪する
4.原告側に要求事項があるかを確認する
5.要求事項の妥当性・合理性を会社として判断、その応諾の要否を決定する
→今回でいえば、訴訟外で和解に応じるべきだった。
「5.」の時点でトータルコスト面とリスクマネジメント面の双方に基づく判断が必要と考えている。原告側要求事項に応じたとき、応じないときのコストとリスクを評価し、トータルでの判断を下す。それが訴訟外での和解になるかもしれないし、応じないことで訴訟になる、ということも有り得る。対応の根拠が明確になっていれば、対応がブレることはなく、より円満な解決が図れるはずだ。……このあたりが被告法務部で理解されていないんだろうなー、と。
和解とは結局のところ金銭での解決である。ならばこそ、最もコストパフォーマンスに優れる解決策を講じる……が、本来の企業行動ではないかと個人的には考えるのだが、さて。
■解決したことについて■
先日他界した祖父との最後の肉声会話は、本件を「徹底的にやれ」。「いい経験にもなる」とも言ってたなぁ。これが実質遺言だったこともあり、手は一切抜かず、全力で対応。無事墓前に「良いニュース」として報告できたことが何よりである。
提訴の目的は「双方合意の上、書面で解決すること」「慰謝料に相当する、いくらかの金額の交付を受けること」の二点であり、それが勝訴と和解のどちらになっても構わなかったので、結果は目的を達成した、十分満足できる内容。
ちなみに、うちの両親の「裁判」「裁判所」に対するハードルを大きく下げられたことが意外に効果大だったりする。暇なら傍聴に行く、という選択肢ができた。その日の開廷予定は裁判所の入り口に張り出されているので、それこそお弁当を持って裁判所に朝行って、興味のある裁判をつまみ食いして聞いてくる、という時間の使い方は大いに意義があるからだ。平日が自由なリタイア世代だからこそ、できることである。
あとは……、専門外領域とはいえ、大学院まで法律を勉強しておいて良かった、と初めて実感した。そりゃこんなトラブルに巻き込まれないことに越したことはないわけだが(汗)、専門家の関与なく、巻き込まれたことに対して適切に対応、納得の行く解決ができたことは、「身に付けた知識」に拠るところが大きい。これ以上の面倒事は御免蒙るが(笑)。
というわけで、「とある企業の法的責任(オトシマエ)」、これにて完結。